4月14日 バナナの誕生日の花と花言葉
バナナ、ミバショウ(実芭蕉)、バショウ(甘蕉)、
誕生日・・・4月14日、10月14日、
花言葉・・・風格、希望の光、成功、納得、
実芭蕉・・・燃える思い、豊かさ、有効、繁栄、快活、
バナナはインドやマレー半島など東南アジア原産の植物で常緑多年草です。
バナナの栽培は、パプアニューギニアが起源だとされています。
バショウとバナナの株姿は、見た目が非常によく似ており、どちらもバショウ科
バショウ属の大型多年草。
バショウはバナナの一種で、果実が食べられるかどうかの違いがあります。
この2種類を見分けるポイントは苞の色。
バショウは緑色や黄色っぽいのに対し、バナナは下の写真のように紫色です。
バナナは葉の裏に白っぽい粉をふいていますがバショウにはありません。
開花時期は5月~10月頃で、初めに大きな赤紫色の苞葉が出来ます。
徐々に苞葉が開いていき、その内側には赤と黄色の複色のような小さな花を咲かせ
実の先端に付いている花は次第にバナナの実へと成長していきます。
バナナは木のように見えますが、実際は草に分類され、草丈は2m~10m程度です。
葉は大きく独特な形をしていて、国や地域によってはバナナの葉で材料を包んで蒸したり、
お皿の代わりに使用されています。
日本に輸入されているバナナは約8割がフィリピン産で他は台湾産などもあります。
日本ではバナナの実が販売されていますが国や地域などによってはバナナの花も食べます。
品種によって味や食感なども違うのでさまざまな種類のバナナを食べて比べてみよう。
バナナの歴史は、日本でバナナを一番最初に手にしたのはあの織田信長だと
言われています。ポルトガル人宣教師から献上されたのです。
バナナが日本へ輸入されるようになったのは1903年からで日本統治下の台湾から
神戸に運ばれました。
◆日本のバナナの輸入の歴史
●明治36年(1903)4月10日 台湾からバナナが輸入される
●大正14年(1925) バナナのセリが始まる
大正13年12月、台湾青果株式会社が設立され、翌年3月より営業開始しました。
大正後期 バナナのたたき売りが門司で始まる
大正後半から昭和に入った頃から、庶民の口にも入るようになりました。
それでも、お土産や病気の時などにしか食べられない特別な食べ物でした。
●昭和16年(1941)12月 太平洋戦争が始まる
●昭和19年(1944) 生鮮バナナが姿を消す
●昭和22~24年頃(1947~1949) 進駐軍用バナナが輸入され、
戦後の焼け跡で売買されるようになりました。
1ロット(1~5かご)あたり2万円前後という高値で取引されたもので、
一般庶民には無縁の話でした。
●昭和25年(1950) 7月 バナナ輸入が正式に再開
台湾からのバナナ輸入が再開されましたが、日本は外貨が不足していたため、
バナナなど不要不急の物資は輸入数量が制限されていました 。
輸入制限措置のために、当時バナナはとても貴重な果物でした。
●バナナの輸入自由化
昭和30年(1955)GATT加盟以降、その規約に基づき輸入自由化が進められました。
●昭和38年(1963)4月 バナナ輸入自由化
IMF、その他の国際通貨経済機構の要求を受け、日本政府はバナナなどの輸入自由化を
IMF、その他の国際通貨経済機構の要求を受け、日本政府はバナナなどの輸入自由化を
発表しました。
●昭和40年(1965)6月 日本バナナ輸入組合発足
自由化が実施されると、台湾バナナの輸入をめぐり業者間競争が激しくなり、
自由化が実施されると、台湾バナナの輸入をめぐり業者間競争が激しくなり、
混乱が生じ業界の統一をはかるため「日本バナナ輸入組合」が発足しました。
●昭和45年(1970) エクアドル産バナナの輸入量が1位になる
● 昭和48年(1973) フィリピン産バナナの輸入量が1位になる
フィリピンでは1960年代、自由化された日本市場向けのバナナを生産するため、
フィリピンでは1960年代、自由化された日本市場向けのバナナを生産するため、
大農園が作られて昭和48年以来現在に至るまで、フィリピンからの輸入がトップを
占めている。
10月14日の誕生花は下記の6種です、各々の花は複数日の誕生日の
花にもなって居るので花の詳細は花名をクリックして下さい。
花にもなって居るので花の詳細は花名をクリックして下さい。
《10月14日誕生日の花と花言葉で想いを伝えよう》
テランセラ・・・・ 変身、粘り強い、熱すると冷め易恋、
キク・・・・・・・ 誠実、真実
コスモス ・・・・・美麗
スプレーマム ・・・逆境の中でも平気、清らかな愛
バナナ・・・・・・ 燃える思い、豊かさ、有効、繁栄、快活、
ミセバヤ・・・・・ 静寂を愛する、平穏無事、つつましさ
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